先週の「オードリーのオールナイトニッポン」を聴いていたら、とても印象に残ったトークがありました。
今日はそのトーク内容をご紹介したあと、それを聴いて僕が感じたことも少しばかりお話したいと思います。よろしければ、しばしお付き合いください。

オードリーのやりとり

以下は、若林さんのフリートークゾーンでのやりとり。
トーク中、日ごろから「ほとんど他人への『興味』を持たず、他人に対してまったく質問をしない春日さん」について話していた若林さん。その流れから「お子さんとの散歩」について回想しはじめ、そこから「子どもの興味」に関する話になり――。
若林
子どもとか見てるとさ、世の中への興味があるじゃない?まだ、いろんなことに。あれさ、すごいよなぁ。
春日 ほう
若林 子どもがさ、一緒に散歩してたらさ、排水する溝あるじゃん?道の溝。ちょうど靴がはまるくらいの溝で、ずーっと溝に足入れてんのよ。ピッタリはまるのがうれしいみたいで。
春日 ほうほう。なるへそなるへそ。
若林 まぁたしかに、おもしろいよなーと思って。見てて。
春日 まぁそうだろうねぇ。
若林 溝に足入れて「はいった!はいった!はいった!」みたいなこと、ずっと言ってんのよ。そりゃ楽しいよなぁそれ、と思って。
春日 やっぱね、刺激の強さが「どーん!」ってくるんだろうね。
若林 「意味」として見てないじゃん、物体を。だからいろいろ思いつくんだろうな、あれ。
春日 そうだろうね。意味がわからないっていうのがいいんだろうね。意味がわかっちゃうと急につまんなくなるんじゃない?
若林 まぁ飽きるってがあるよな、意味でやっちゃうと。まぁでも人間、それムリだけどなぁ。でもその目線がいいのか、楽しむには。
引用:ニッポン放送「オードリーのオールナイトニッポン」2023.7.23放送回春日 まぁそうだけど、慣れるからねぇ、結局。刺激だからねぇ。うらやましいよね、子とかは。
このやりとりを聴いていて、僕も思わず「ほんまにそうやなぁ」とうなずいてしまいました。
子どもの興味と好奇心がもたらすもの


「なにごとにも興味をもったほうがいい」的なことは、昔からよく言われます。けれども大人になると、なかなかそうもいかないのが現実です。
若林さんのお子さんのように、道端にある「ちょうど足がはまりそうな溝」を見て、わざわざ足をはめてみようとする大人がどれだけいるでしょうか。ほとんどの大人はおそらく興味を持たないだろうし、そもそも気づきすらしないと思います。
なぜなら、道端の溝に意識を向けたところで「意味」がないから。けれどもそれをよしとしていたら、自分の世界はぜんぜん広がりません。



とはいえアタマでは理解していても、なかなか子どものようには興味を持てないのが困ったところなのですが……(苦笑)
脳科学の世界では「好奇心が脳を活性化させ、いくつになっても脳を成長させる」と言われます。逆に言えば「好奇心を失った人の脳は退化していく」ということです。
ゆえに「子どものように純粋な好奇心」を、いつまでも持っていたい。やたらと「意味」を求めて世界を狭めるのではなく、道端にある溝にすら興味を持てる人間でありたい。
オードリーのやりとりを聴いていて、あらためてそう感じました。
AIがさらに進化した未来


ましてや、今よりもさらにAIが進化した「そう遠くない未来」のことを考えると、なおさらそう思います。
今後、AIが進化すればするほど「劇的に不便は減っていく」でしょう。それはつまり「生きていくうえで”人間”がやらなければいけないことも減っていく」ということです。
それこそSF作品のように「超高性能AIを搭載した万能アンドロイドが一家に一台」なんて未来も、もはや夢物語ではないはず。もしかしたら「ドラえもん」すら、リアルに生み出される……かもしれません。
仮にそんな未来が訪れたとしたら、人は「なにも考えなくても、とりあえず”死なずに生きていく”ことはできる」ようになるでしょう。
でもそのとき、もし自分が「なにも興味を持てない人」だったとしたら……あとは「生きたしかばね」になる未来しか見えません。それこそ「24時間365日ベッドの上でボーっとしてるだけ」みたいな――。
「べつにそれでもいい」という人なら別ですが、少なくとも僕はそんなふうに生きたくない。ゆえに子どもを見習って「好奇心を爆発させながら」生きていきたいと思う、今日このごろです。
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