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にのまえはじめ
兵庫県神戸市出身。大阪府在住。
某ITベンチャー勤務、兼セールスライティングを軸に活動中の物書き屋。物語のドワーフみたく縁の下の職人的な生き方が理想。妻とふたり暮らし。カナダのモントリオールかスイスのマイエンフェルトに住みたい。詳しいプロフィールは<PROFILE>をタップ☟

【ラグビーワールドカップ】ラガーマンに学ぶ「許す力」と「人間力」

ラグビーワールドカップ
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つい先日、ラグビーワールドカップ2023の決勝がありましたね。

ご覧になりましたか?かくいう僕は、最初から最後までしっかり観ました。

「ニュージーランドvs南アフリカ」というラグビー界の頂上決戦。ギリギリ1点差での決着。いっさいの誇張なしで、最後の1秒まで目が離せないすさまじい試合でしたね。

僕は最近、ようやくラグビーの魅力が少しずつわかってきて、今回のワールドカップでやっとラグビーを楽しめるようになった気がします。

あれだけ屈強な選手たちが、もし自分なら即死しそうなほど激しいコンタクトプレーの中で、おおよそ意図的なラフプレーやセコいプレーをしないのは本当にスゴいと思いましたし、素朴に感動すら覚えました。

「ラグビーは人間を育てるスポーツである」という話を以前どこかで聞いたのですが、それが腑に落ちたというか、納得できたような気がします。

そんなわけで今日は、まだまだ素人ファンの僕がラグビーワールドカップを通して感じたこと、なかでもラガーマンの「許す力」にフォーカスし、僕なりに考えた「人間力」を高めるためのヒントをお話ししたいと思います。

Contents

ラグビーは自然と「許す力」が鍛えられる

まずはこの動画をご覧ください。ほんの20秒足らずの動画です。

これは2019年のラグビーワールドカップで、レッドカードにより退場となったカナダの選手が、試合後に自身の危険なプレーについて謝罪するため、対戦国の南アフリカのロッカールームを訪れた様子を映したものだそうです。

とても短い動画ですが、とてもわかりやすく「ラガーマンらしさ」を感じられます。

この試合は、カナダが南アフリカに大敗したのですが、その試合後に負けたカナダの選手がわざわざ謝りに行ったこと自体がまず素敵。同時に、その彼を笑顔で(しかもカナダチームのジャージまで着て)迎え、ビールを手渡して握手を交わす南アフリカの選手も本当にすばらしいなと。

ラグビーでは、その競技性もあって「”フェアプレー”や”誠実さ”などの品位」や「相手への尊重」といった心をきわめて大切にしています。

そういった土台を持つがゆえに、ラガーマンは自然と「許す力」も鍛えられるのでしょうね。

ラグビーのルールは、競技を公平かつ安全に進行させるためのものであるのは当然ですが、それ以上に「相手への尊重」や「フェアプレー」を重視している。だからこそラガーマンは、相手チームのプレーに対しても「許しの心」を持つことが求められます。

つまりラグビーというスポーツは、たとえ何があっても「相手を許す心」を育む場でもあるのだなと、素人ながら感じました。

「許す力」の重要性を感じるシーン

FORGIVENESS許す

ラグビーの試合を観ていると、たびたび「許す力」の重要性を感じるシーンがあります。

たとえばさっきの動画に出ていたカナダ人選手の場合、危険なショルダーチャージ(首から上へのタックル)でレッドカードが出て退場になりました。

ラグビーくらい激しいタックルだと、ヘタすると命の危険すらあります。ですから、もしタックルされた選手がした選手に怒りや不満をぶつけても、あまり不思議はありません。

それこそサッカーや野球だと、ささいなキッカケから、ぶっちゃけ美しくない小競り合いになってしまう場面をしばしば見かけます。ひどいときは、乱闘になることもあります。

しかし一流のラガーマンは、怒りにまかせて感情をぶつけるようなことはしません。少なくともワールドカップのようなトップレベルの試合では、そんな場面を見たことがありません。

そのマインドの根底には、どんな状況に対しても「受け容れ、許す」ということが、当たり前に染み付いているように感じます。

彼らはどんな状況でも相手へのリスペクトを忘れないし、たとえ大きなケガをしたとしても「許す」という心を忘れません。試合が終われば、何があってもノーサイド。だからこそラグビーには、ほかにはない清々しさを感じるのかもしれません。

「許す力」と「個」と「チーム」

ラグビーのチーム

ラグビーはあらゆるスポーツの中でも、「個の力」以上に「チームの力」が、勝利に直結する競技です。

もし仮にチーム内で衝突や対立があったとしても、強いチームほど自然とスタッフも選手も含めた個々の持つ「許す力」がその調整役を果たし、結果的にチームの結束力を高めます。

ラグビーにかぎった話ではありませんが、スポーツにおけるチームは、そういった信頼や連帯感が土台にあってこそ成功をおさめられます。

その中でもラグビーは、ほかのスポーツに比べて圧倒的にボディコンタクトが激しいスポーツだからこそ、特に「許す力」の重要性を如実に示しているような気がします。

選手・スタッフを問わず、チームのメンバー全員がお互いに「許す心」を持つこと。それがチーム全体の結束を強化し、共通の目標に向かって進む原動力となるのだと。

「許す」という文化は、どんなチームにおいても成功に欠かせない要素のひとつです。

そしてそれは、日常生活にも当てはまります。

たとえば「家族」というのは、いわばひとつのチームですが、もし家族の誰かに「許す」という心が欠けていたら……たぶんその家族は争いが絶えないものになるでしょうし、いずれ関係性そのものが破綻するでしょう。

スポーツチームにせよ、会社にせよ、家族にせよ、チームを円滑に運営していくうえで「許す力」は不可欠のファクターであり、もっと言えば「幸福」を構成するファクターであるということ。

ラグビーを観ていると、そのことをよく教えてくれる気がします。

起源が同じ「ラグビー」と「サッカー」は、なぜこれほど違うものになったのか?

サッカー&ラグビー

少し話は変わりますが「ラグビー」について考えるうえで、僕が好きな「サッカー」と対比しながら対比すると、いろいろ興味深いことが見えてきます。

ともにイギリス発祥で、1820~30年くらいに始まったとされる「フットボール」を起源にしていますが、今や両者は似ても似つかない競技にそれぞれ変化・進化しています。

サッカーだと、たとえば南米選手などがよくやる「マリーシア」と呼ばれる「レフェリーや相手選手を欺く狡猾なプレー」は、正直めずらしくありません。それどころかそういったプレーを上手くやるのも、ひとつの技術として見られます。

にのまえ

ブラジルのネイマール選手がよくやるダイブは、わかりやすい代表例ですね。

しかしラグビーでは、万が一そんなセコいプレーをやろうものなら即刻イエローカード、場合によってはレッドカードになるそうです。そして「そんなプレーをしたいならサッカーをやれ」と言われるのだとか。

これはラグビーにおいて「誠実であるかどうか」や「美しいかどうか」、要するに「あきらかなズルをしていないかどうか」が、最も上位の判断基準にあるからだそうです。

サッカーだと、多少のズルいプレーも技術のうち、もし仮に度を越えてもレフェリーにバレなきゃOKみたいな風潮が少なからずありますが、ラグビーではまず許されません。

そして選手がレフェリーに対して抗議することもないし、ましてやヘッドコーチが抗議することもありません。というか、よく見るとヘッドコーチはベンチにすらいません。スタンドの上のほうから試合を観ているだけです。

一方でサッカーは、選手に加え監督まで審判に抗議する(時にそれで退場させられる)のは、良くも悪くもよく見かける光景です(苦笑)

ラグビー憲章には「品位・情熱・結束・規律・尊重」という5つの理念が掲げられていますが、それはただのお題目などではありません。

もしそのどれかひとつでも欠けていたら「ラガーマンではない」というくらい、重要なもの。ラガーマンにとっては「勝利すること」以上に「フェアであること」や「誠実であること」、そして「規律を守ること」のほうが、よほど大切なことなのです。

ラグビーは「人間形成のため」のスポーツ

ジェントルマン

その起源をたどっていくとラグビーは、イギリスのパブリックスクールで『ジェントルマンを育成すること』を目的に発展してきたもの、つまり『人間形成』を目的としたスポーツだということがわかります。

サッカーやそれ以外のスポーツのように「勝つこと」がまず先に合って、その過程の結果として人間が育つ……のではなく、そもそもが「人間形成」を目的としているわけです。そりゃまったく違ったスポーツになるのも納得ですよね。

なんでもラグビーのルールは、ほかのスポーツと比べるとかなり複雑で、しかもほとんど毎年のように変更されるそうです。

なぜなら、ラグビー憲章の理念を「より体現しているチーム」が勝ちやすいように、そしてより安全に多くの選手がプレーを楽しめ、同時に観客も楽しめるように。

おそらくルールを決める人たちも相当に面倒くさいはずですが、それでもほぼ毎年細かくルールが微調整されているそうです。

そこには「雑でインスタントな教育は、雑でインスタントな人間を育てる」という人間教育の基本があるのだと言います。だからこそ、そういった面倒くさいこともいとわない。

きわめて優秀なビジネスマンに「元ラガーマン」が多いのは、そういった環境に鍛えられることで「人間としての土台」が確立されているからという気がします。

そういえば僕の師匠的な人が「将来的に小学校をつくってラグビーを必須科目にしたい」と言っているのですが、めちゃくちゃ理にかなっていますね。真剣にラグビーをやれば、自然と「人間力」が育まれるわけですから。

仮にプレーまではやらないにしても、ラグビー憲章に掲げられた「品位・情熱・結束・規律・尊重」という5つの理念を自身にインストールできるよう意識しながら日々を過ごす。

それだけでも、それをまったくやらない人と比べれば、よほど人間力は育まれるはずです。

さいごに

というわけで、ラグビー素人の僕がラグビーワールドカップを通して学んだ「許す力」の重要性について、そしてラグビーという「人間形成のためのスポーツ」を通して「人間力」を育むヒントについてお話しました。

ラグビーは、サッカーとは比べ物にならないくらいボディコンタクトの激しいスポーツなのに、サッカーみたくしょーもない小競り合いや審判への感情的な抗議など、暴力的な要素が不思議とほとんど感じられません。それは観ている側として、シンプルに気持ちがよいものです。

そのせいか、ラグビーをよく知れば知るほど、サッカーがとてもセコいスポーツに見えてしまうのは個人的に困ったものですが……(苦笑)

まぁそれでサッカーが嫌いになるとかはもちろんないのですが、サッカーにもラガーマンの精神が今よりほんのわずかでも浸透すれば、もっとすばらしいスポーツになるのになぁとは思いますね。

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